公開: 2021年4月29日
更新: 2021年6月7日
1980年代に日米の政府間で継続的に議論されていたのが、日米間の貿易不均衡問題であった。米国政府は、この政府間協議において、輸入面では、自家用自動車の輸入量と関税規制について議論し、輸出面では、日本政府が守ろうとしていた農産物、特に「みかん」と「米」、の日本への輸出自由化を求めて議論を展開した。その結果、日本政府は日本からの自動車輸出については、自動車メーカによる自主的な輸出数量規制の導入案を示し、農産物の輸入については、日本がオレンジの輸入を認める提案で妥協が成立した。
これらは、輸出額として大きなもの、輸入物品としては国内農業への打撃が大きいと思われていたものであった。これらの問題以外にも、日本政府による米国製コンピュータの輸入規制や米国製自家用車の輸入促進を図る施策なども議題に上がり、日本政府は、規制緩和策や、関税の引き下げなどを認めた。さらに、米国政府が問題にしていた日本電信電話公社の民営化についても、日本政府は、国内の行政改革に対する圧力も考慮して、受け入れていた。
全体として、日米の政府間交渉では、日本政府が米国政府に対して、常に何らかの譲歩を行うことで、決着を見るようにしていた。米国政府の高官達には、日本政府の交渉担当者は、強い圧力をかければ、日本政府が必ず譲歩すると言う認識が植え付けられていった。